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魔性の子/小野不由美

魔性の子 十二国記 0 (新潮文庫)

魔性の子 十二国記 0 (新潮文庫)

あらすじ:
教生として母校に戻った広瀬は高里という生徒に普通ではない何かを感じ取る。彼の周囲では事故やケガ、死人がよく出ており、それが大なり小なり彼を不快にさせた人に起こっていたことから「高里は祟る」と言われていた。

十二国記」、新刊発売予定告知おめでとうございます。小野不由美は「黒祠の島 (新潮文庫)」や「屍鬼(一) (新潮文庫)」を読んでいて、完全にホラーの方かと思っていました。どちらかというとファンタジーの方なんですね。ははは!(わろとけ)

で、「十二国記」に絡んでタイムラインに小野不由美を読むならと流れてきたのがこちらの「魔性の子」でした。いわゆる『エピソード0』みたいな立ち位置の本です。

私はこの本を「十二国記」の本として読み始めたのでこの本の終盤の流れに乗れたものの、ホラーとして読み始めていたら「そんなんなんでもありじゃーん!」となっていただろうな、と思いました。実は「黒祠の島」も終盤でズコーとなった気がするので、そういう作家だという認識でもあります。(なんでズコーてなったのかは覚えていません!)

それにしても、途中までは広瀬と高里の関係に涙し、後藤先生の言葉に息を飲み、としていたのにこの仕打ちですよ!ちょっとこれは、広瀬が可哀そうすぎやしませんか!?なんかやり逃げ感ありません!?!?以下ネタバレしています。


広瀬は幼い頃に見た美しい場所に心を奪われて、その記憶を拠り所にして良くも悪くも生きてきた。これについての後藤の言葉は厳しくも広瀬がこの先長く生きていくには必要なことだったと思います。

「ここは自分の居場所じゃない、というのは、この世界は消えてなくなれと同じことだ」(記憶に基づいて書いています)

表裏だよ、と後藤は言った。これはもう、まさしくその通りで、恥ずかしながら私自身にもそうすることで身を守っていた時期があって、ある時自分で「ある意味一番冷たく残酷な考え方なんだ」と思い至ったのですが、このように言語化されるとパンチがありますね。そして後藤は「俺たちを拒まないでくれ」とまで言う。なんて恵まれているんだろう。広瀬には少なくとも後藤がいる。ただ、高里と距離を詰めすぎて、広瀬の心は抉られていく。

思い出したのは「仮面ライダーアギト」。アギトになったものとアギトになれなかったもの。「なれなかったもの」の苦しみは計り知れない。なれなかったのに、そこにいなければならないからだ。逃げ場などない。アギトになれれば身を削ることなくできるはずのものが、アギトにはなれず、しかしアギトに似て非なる力と本能を持ち合わせたばかりに苦しみながら本能に従うしか道がないのだ、死ぬまで。

広瀬が自分と高里のことを「俺たち」と言い出したところから悲劇は見えていた。広瀬と高里は決定的に違った。高里には本当に帰る場所があり、広瀬にはなかった。人間の世界をこれだけめちゃくちゃにしておきながら、高里は威厳たっぷりに国に帰っていった。それがどれだけ残酷なことか。
なのに、この「魔性の子」は「十二国記」だ。高里の、泰麒の物語にすぎない。全体でいえば、泰麒が向こうの世界に帰るためのちょっとしたエピソードにすぎないだろう。それでも最初にこの物語を読んでしまった身としては、あれだけたくさんの死人を出しながらも、一番の犠牲者は広瀬だと思わざるを得ない。

いかにも小野不由美らしい、ひどく残酷な物語だと、そう思いました。