ロマンチックモード

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第18話 省みる

4月15日、今私は絶望の淵にいる。


努力というものは、努力と気付かぬものこそそれであり、「私はこんなに頑張っているのに!」というのは根本的なところで間違っている。努力できているかどうかは他人から評価されて初めて可視化されるものであり、日々の生活で自分にできることと言えば「こうありたい」という理想に少しでも近付けるよう文字通り努力しながら、自分自身を省みることぐらいしかない。「努力しなければならない」なんて思っているうちは、「努力しているように見せたい」だけなのだ。本当に「こうありたい」と願う姿があるなら余計なことは考えず行動すればいい。


と、厳しめな論調で自分を鼓舞しているけれど、簿記の勉強が捗らない。捗らないというか、絶賛落ち込み中である。商業簿記と工業簿記を同時に進めているのだけれど、まず商業簿記の進みが絶望的に遅い。日常的に仕訳をしているのが全く役に立たないニッチなシチュエーションばかり用意されるのと、どうやら私が受験した当時より試験範囲が1.5倍になっているとのこと。通りで新鮮なわけだ。(ポジティブ思考)

しかし絶望に落ちたのは工業簿記の方だった。工業簿記自体は非常に理に適った作りになっていて、原価計算はどれも楽しく、強いて言うなら種類が多すぎて読むごとに頭の隅から先に覚えたはずの公式が零れ落ちてしまうくらいだ。仕事でも原価計算を行わなければならないというのもあって、工業簿記の教科書は無事1周目を終えた。そうして、2周目はざっと読んだのち基本問題をガンガン解けるくらいに!と勢い込んでやり始めたら間違いの多いこと多いこと。それでまあ、がっかりしているのである。


私は同じ教科書を何度も読むことができない飽きっぽい性格なのだけど、昨日初めて「同じ教科書の2周目」をしてみたら、確実に1周目より言葉の入りが良い感触があった。特に最序盤の「工業簿記とは」という部分は1級でも根幹に持っておかなければならないという事前情報もあって丁寧に板書したのだけど、時計を見て焦ってしまったのだろうね、最後に手を付けた章で「ここは先ほどのと流れは同じはずだ」とテキスト部分をほぼ飛ばして問題に移ってしまったらこの体たらくである。自分の脳の劣化を受け入れ切れていない証拠だ。


6月9日に簿記2級の試験日があり先日申し込みが始まったのだけど、テキストを飛ばしたとはいえ2周目のこの出来に絶望したのだった。しかも商業簿記はほとんど進んでいないような状態である。これは、受からない。絶対間に合わない。


ところで先週キッチンのシンク下から水漏れがあったのだけど、その辺りから気分は沈んでいたのだ。家賃が掛からないのは非常にありがたいことなのだけど、壁紙は剥がれたまま、電気は契約が少ないまま引き継がれたのですぐにブレーカーが落ち、真冬にストーブが壊れ、ここに来て水漏れである。正直家賃を払って管理の行き届いた家に住んでいるほうがよっぽどマシだ。

そんな中、人が勉強している目の前で夫は席に着いた途端寝息を立ててみたり、「今日はここまでにするかな」なんて言いながら私より先にテレビを見だしたりするのである。腹の立つことこの上なし。ちなみに引っ越しを提案したところ家賃が掛かるのが嫌だ、の一点張りなのだけど、その一方マイホームの購入には前向きだったりする。彼の中の家賃と住宅ローンがどういう立ち位置になっているのか若干興味深い。


という具合に、ここ数日の私の情緒はひどいものだった。今私がすべきことは自分を省みることで、それは「他人に自分の指標を求めてはいけない」ということだ。自分の不出来にだけイライラしておけばいいものを、勝手に自分の指標を他人に当てはめて、ついには環境にも牙を向けてイライラを増大させていた。私は私のすべきことをし、自分の機嫌を取るべきであった。ここ最近、「むしろ迷惑しているのに、それに感謝しないといけないのが辛い」というのが口から出てしまうのだけど、きっと私は感謝し続けたほうがいいのだ。それもまた、弛まぬ努力なのかもしれないのだから。


時に皆さんは水漏れしたことがあるでしょうか。水漏れはね、精神的にキます。