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ドラマ「アメリカン・ホラー・ストーリー:精神科病棟」(S2)

あらすじ:
教会が運営するブライヤークリフ精神病院は、刑法で精神異常とされた人々を収容するための施設だった。女性の皮を剥ぐ連続殺人鬼ブラッディ・フェイスことキット・ウォーカーが収監されると聞き、彼の本性を暴くべく野心に燃える記者ラナ・ウィンターズが潜入を試みる。

「呪いの館」(S1)の感想もままならないまま、とうとう見終えてしまった「精神科病棟」。S1とは比べ物にならないほどのゴア・猟奇的表現と患者や被害者の度重なる悲鳴に一度休憩を挟みながらも、ラスト3話はやはり見ずにはいられない衝動に負け一気に駆け抜けた。


キットは本当にブラッディ・フェイスなのか、シスター・ジュードの過去とは、アーサー医師はなにを隠しているのか。現代の若いカップルがすでに廃墟と化したブライヤークリフで惨劇に合うところからスタートする本作は、1960年代当時のアメリカの人種・性差別から生まれた悲劇でもある。人というのは自分の分かる言葉で話してくれたり、自分と似た人を信用するようにできている生き物であり、暗い箱にひとつ穴が開き、そこから光が見えたなら、その先が何であろうと行かずにはいられないのだ。ブライヤークリフを抜け出した先にあったものが更なる地獄と化したとき、外界の常識が通用しないブライヤークリフがある種の安全地帯となってしまうのも皮肉である。


人の残酷な一面をこれでもかと叩きつけてくる描写と共に、人の持つ美しさも表現されるのがこのシリーズの特徴だ。序盤こそその暴挙に恐ろしさすら感じたシスター・ジュードだが、その戦いぶりとその後の陥落を見ると因果応報の度を越していて、予想外の方向から救いの手が差し伸べられたとき、そこにいる人間たちが光り輝く。そこで輝くものこそ"人ならざるもの"が「特別だ」と判断した理由なのだろうという解釈が容易にできるようになっている。


教会を舞台に、残忍な所業を繰り返す人間と人ならざるもの、悪魔、そして天使か死神か、それらが行き交う様は禍々しくも美しいものだった。


アメリカン・ホラー・ストーリー」は、同じキャストでシーズン毎に全く別の舞台、登場人物、ストーリーが紡がれるわけだが、特にジェシカ・ラングエヴァン・ピーターズ、リリー・レーブの3人は前作同様どこか信用できない、どちらに転ぶか分からない危うさが全身から醸し出されていて釘付けになる。最新S8ではS1と次のS3「魔女団」が戻ってくるらしく、またドキドキしながらS3を観れるのが楽しみで仕方ない。