ロマンチックモード

日常と映画と本と音楽について

第26話 年末を前に

今年もようやく12月に入った。年を重ねるごとに時間が加速していく、とよく人は言うけれど、私は25歳ごろから体感速度が変わっていない。


そういうことを言うと「まだ若いからだよ」と声を掛けてくる人もいるけれど、明らかにそれは間違いだ。30代も後半に差し掛かっているのが何よりの証拠だと思う。時間の感じる速さは遅い方がいいみたいな風潮は、ひとえに「遅く感じる=若い」つまり人って若い方がいいよね、みたいなところから来ているのではないだろうか。何故こんなことを言うのかというと、年を重ねているのに時間の進みが遅い私からすると、あまりにも人生は長すぎるのだ。


辛いことも楽しいことも人は忘れて生きていく。忘れることで生きていけるとも言える。それに加えて歳を重ねる度に体感時間が加速していくのも、そうすることで生きて行けるようになっているのではないだろうか。年を重ねると辛いことも増えていく。楽になる部分ももちろんあるが、対照的に年齢による身体的な老いの辛さが増えていく。身体的な辛さを感じる時間は絶対に短い方がいい。なのに私は体は衰えているのに時間の進みが遅い。どういう状況かと言うと、そばを挽く石臼、あれで日々ゴリゴリと削られていく感じがとてもある。少しずつ少しずつ、削られて行っている。


人が時間を早く感じる時何が起こっているのか、インターネットで少し調べればアホみたいな量の記事が出てくる。どうやら人は「慣れ」た時に時間を早く感じるらしい。これは楽しい時間はあっという間で、辛い時間は長く感じるのとは別で、なんとなくテレビをつけっぱなしにしている時が該当する話らしい。長く生きていると「やったことのあること」「見たことのあるもの」で溢れてくる。それらに囲まれてなんとなく過ごしていると人は時間が早く過ぎていく感覚に陥るらしい。


厄介だな、と思った。つまり私はいまだに人生に慣れていないらしい。オタク気質なのでどんどん見たことの無いものを欲しがって映画や小説を観たり読んだりしてしまうのに、それ以外の日常にそもそも慣れていない。


カレンダーをめくり、ようやく最後のページに来たんだな、ここまでよく生きたな、と思い、やっぱり今年も長かったな、と感じる。命短しとか、なんか色々言う人がいるけれど、子どもだった私が地続きでここまで生きてみて、いやいや、人生結構暇ですよ、と思う。なにせ今年はできないと思っていたゲームを2本もクリアして、『自分がする』ことに自信がついた年だった。それで、それならと思って、今はやってみたかったことのひとつであるピアノを弾いている。褒め上手な先生に教わりながらピアノを弾いていると、時間がどの速度で進んでいても、過ぎているのには変わりないなと思えるのが、とてもいいのだ。