ロマンチックモード

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夫が亡くなった

10月29日、21時半頃知らない電話番号からの着信に出れなかった。その30分後、義理の姉から電話をもらい、タクシーで病院に向かった。夫が職場で倒れて、まず義理の両親に連絡がいき、姉妹も駆けつけ、その姉妹が私に連絡をくれた。夫は倒れているのが見つかった時には、すでに亡くなっていた。職場でも救急車内でも蘇生を試みてくれたらしいが、そのまま亡くなった。原因を調べるためにすぐにCTをしてくれたが解明できなかった。倒れたのが職場で原因の特定ができなかったので、週明けの月曜に司法解剖をすることになった。23時過ぎに、テレビでよく見るベッドしかない部屋で会うことが出来た。足先は冷たくなっていたけど、顔や頭はまだ温かかったのを覚えている。その日は念のため家にも警察が来て、写真を撮ったり、健康状態や行動について聞き取りがあった。男性の警官はさらばの森田さんに似ていたし、女性の警官が使っていたカメラはNikonだった。


翌朝、自分の両親に夫が亡くなったことを電話で伝えた。言葉の途中で泣き出してしまったのを覚えている。今でも「夫が亡くなった」と口に出して誰かに伝えると泣いてしまう。会社への連絡も土曜日の朝にチャットで済ませた。不妊治療を行っていたので、病院に事情の説明と薬の副作用について相談し、月曜日に受診することになった。

月曜日の司法解剖の結果を待たないとなんの準備もできない。30日(土)と31日(日)は仕事もない。声を出して泣きじゃくったり、スンとなって立ち尽くすしかなかった。斎場は義理の姉妹が決めた。家から近いところだと見るたびに思い出すからと言って、少し遠い場所でやることになった。


11/1、まず万が一に備えて自分の印鑑を作った。唐突に「夫が使って以降印鑑が見当たらない」ことを思い出したからだ。婦人科を受診するのに朝1で街に出ていたので、その流れでミスターミニットで作成した。デパートで黒のハンカチとストッキングを購入していたら、警察から電話が掛かってきた。司法解剖ですぐに原因が特定できたという連絡だった。義姉に連絡をし、義父と3人で警察へ向かった。
「血管の外側が剝がれやすい体質だったようです」と言われた。死因の欄には「循環不全」と書いてあり、要約すると「左腹部の血管の外側が剥がれて穴が開いてそこから出血し、血液が全身に行き渡らなくなった」ということらしい。出血は一か所からではなく、つられるように一番ひどいところの周りの血管も剥がれていたようだ。職場の人の話によると、夕方に出社した(夜勤だった)ときには「ちょっと調子が悪い」と言っていたようで、トイレで膝をついたりしていたらしい。その後、具合が悪いので休憩すると言って休憩室に行ったきり戻らないので見に行ったらすでに亡くなっていたということなので、血管が破れて、貧血を起こして、そのまま広がってしまったんだろうと思われる。

正直、亡くなった原因って聞いても仕方がないなと思いながら聞いていた。生きて、死んだ。それだけだなと思った。事件や事故のように相手がいたらまた違っていたのかもしれないけれど、少なくとも私は「相手」がいなくて良かったと思った。

斎場の方も警察に迎えに来てくれた。司法解剖をすると納棺の儀ができない(縫合するため)とのことで、この場で縫合から納棺まで行うとのことだった。夫は自宅に寄らず直接斎場へ行くことになった。日取りを決めるため、私も斎場へ向かった。

日取り、宗教、祭壇、香典返し、食事、隅から隅まで義父が悩み、終わったのは20時半だった。「苫小牧の墓に入れる」と言い出した時には、正直うんざりした。折衷案を出し無理矢理終わらせた。この義父のこだわりのせいでこの先一生「ちょっと面倒」な選択を取ってしまったのは、本当に一生恨むと思う。


2日は家族のみの通夜、3日に告別式を行った。

11/2、11時に枕経を終え、あとは時間が経つのを待つのみだった。通夜は「家族のみ」とはいえ斎場は開けており、そうしたら夫の元同僚が3名来てくれた。会ったことはなかったけれど、よく話に聞いていた人たちだった。お互いペコペコしながらお互い大泣きした。告別式に向けて義姉のスマホに入っていた写真が引き伸ばされて壁に貼り付けられていった。大人8人子ども3人で行ったディズニーランドの写真を見ながら、「仕事のある大人6人全員休み取れてるの凄いね」とみんなで言い合った。7時間燃え続けるお線香に火を点けて、みんなで普通に寝た。といっても、目をつむっているだけだった。

11/3、「喪主」と書かれた喪章を喪服に付けられた。告別式には私の会社の方も3名参列してくれた。真言宗に慣れていたので、義父の希望で選択した宗教のお経が派手過ぎてびっくりした。お経が終わった後、司会の方が夫の人となりや人生を紹介してくれて、みんなでワンワン泣いた。甘いお酒を飲ませてあげたり、家から持ってきた服を掛けたり、通い詰めたススキノのお店のカードやチェキを入れたり、ウルトラの怪獣のフィギュアや斎場の方が作ってくれたレバンガ北海道の夫専用のチケットを棺に入れた。私の友人を含め、沢山の供花が届き、最後はありったけの花に埋もれていた。
お坊さんにお布施を渡し、火葬場へ移動する。

火葬場は混んでいた。祝日だったし、翌日の4日が友引だったので前倒したりする人が多かったんじゃないかと思う。骨は案の定立派で骨壺がパンパンになった。メガネも箱に一緒に入れてもらった。高校生と中学生の甥っ子姪っ子も、ちゃんと拾ってくれた。
斎場へ戻り、最後までいてくれた方にお土産を渡した。帰り支度を済ませてお会計をしたら、香典の額と赤字の額でズッコケそうになった。そうして夫はようやく家に帰ってきた。危うく義実家に持ち帰られるところだったけれど、ちゃんと帰ってきてくれて嬉しかったのを覚えている。