ロマンチックモード

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どうにもならないものを受け入れる力

たまには愚痴らさせていただく!
タイトルの言葉が、ここ最近の「おとなの小論文」のテーマになっている。
ここで書いたとおりの、それはもう、きっと皆さんの想像力をもってしても足りないくらいの衝撃だったのですよ!去年の12月に入社したもうすぐ30になる男性が、周りにいるほぼ年下の先輩社員全員のいる中で、「分かんねえもんしょうがねえじゃん!人としてどうなんすかそれ。オレ絶対間違ってねえし!」とのたまった。大声を張り上げ、敬語も使わず、唐突に。
基本的には私と会話をしていたので、上記の言葉は私にだけ吐かれた言葉なわけですが、もともと声を荒らげて仲間に対して何かを言う人は私を含めいない会社だし、その時ももちろんそういう風に会話をしていたわけではない。でも突然彼はそうのたまい、私はそれに対して瞬時に「この人には話が通じない」と思った。なので、終始彼の言葉に落ち着いた声で「そうですか」と相槌を打ち続けた。途中あまりの言葉の応酬に隣にいた女子が「言い方っていうものがある」とこれまた落ち着いた声で諭されても、それに対して彼が瞬時に返した言葉が「うるせえし」。
結局、彼は自分の言いたいことだけを叫び、周りの空気を壊し、誰からも何を言われるでもなく、その日の19時半から予定されていた私を含めた退職者に向けられて開催された送別会に何食わぬ顔で出席をし、2次会まで居続けた。
「どうにもならないものを受け入れる力」という連載も佳境に入り、いよいよひとつの「答えのようなもの」が出てきた。それが、『最適をイメージできる』かどうか。最適な対応をできなくても、最適をイメージできる、でいい。そういうことが書いてあった。
まず、この場合の『最適』が非常に難しい。私自身、「怒られないことは不幸なことだ」という理念のようなものを持っている。会社に入った当初、私の上司は今では考えられないくらいの気分屋で、恐ろしい人だった。沢山怒られもした。理不尽なことも言われた。でも自分の対処によって、2倍も離れている年齢も感じないくらい仲良くなることができたと思う。この経験によって私の仕事関係での対人スキルは明らかに上がったし、仕事も覚えられた。「怒られて良かった」と思っているのである。
でも、彼の場合これが通用しない。この約1年の彼を見て、そのプライドの高さと自分から学ぼうとする意欲のなさが凄いのだ。「教えてください」ではなく「教えるのが当然だよね?」。嘘でもそういう態度が取れないのは致命的である。経験のある人が年下だというのもネックになり、この営業所に彼を怒れる人はいなくなった。それもかなり早い段階で。何せ映画好きだからといって他の取引先からの電話に一切出ずその仕事ばかりやっているのを怒られた次の瞬間「オレは全部を全力でやりたい人間なので」と言い返す人物である。ある意味凄い。
じゃあ何が最適だったのか、改めて考えてみても、今はまだ当時全員が取った行動としか思えない。私は落ち着いた声で「そうですか」と相槌を打ち早く彼の怒号を失くすよう努め、諭したのに暴言を吐かれた彼女もグッと堪えて何も言わなかった。他の全員がその話題をスルーした。これが、今考え付くやっぱり『最適な対応』だったように思う。肝心なのは、『最適のイメージ』だ。
『最適のイメージ』は、やはり彼を戒める力のある一言なりをそれ相応の人物に言ってもらうことなのだろうか、と思う。やっぱりどう考えても、彼の取った行動や言動は、一社会人として許されるものではない。というか普通の会社なら、起こるはずもない出来事のようにも思える。たとえば先輩が後輩に向かってなら百歩譲ってあり得るだろうこの出来事も、一番最後に入ってきた人間のすることと考えればおかしいのは一目瞭然の気がする。
2次会まで来て、お酒をたんまり呑みビリヤードもしてベロベロに酔っぱらった彼は初めて私の方を向き「今日はなんかすんませんでした、オレが完全まちがってましたねえ」と言ってきた。それを聞いた暴言を吐かれた彼女は「酒の力を借りないと謝ることもできないヤツはいらない」とまた血圧をあげていた。私はと言うと、「はあ?」と言いながら来てもいないメールをチェックしながら性格の悪いことを考えていた。
私がいるうちにクビにしてやる!と。まだまだ私には、受け入れる器が整っていないようだ。