ロマンチックモード

日常と映画と本と音楽について

モモ/ミヒャエル・エンデ

小さい頃に読みましたし映画も見たんですけどすっかり内容を覚えていなくて、全て新鮮に読みました。読み進めていくと映画のシーンが浮かんできては「この場面こういうことだったのか!」というのが多々あって、小さい頃の私には少々難しかったようです。つーかさ!難しいよ!無理でしょこれ!子どもには!一応対象年齢小学5年生だけど!

ではせっかくなので読んだことのない、もしくは昔読んだけど全く内容の覚えていない方のためにざっと紹介しましょう。ミステリーにも近いので核心は書きませんが「読みたくなる」ように書きたいと思います。
「モモ」とは、めちゃくちゃざっくりいうと人の時間を取り戻す物語です。街中の人がどうも最近せかせかイライラしている。どうやら葉巻を咥えた灰色の男が街中をうろちょろしているのが原因のよう。その男は人に「あなたは読書に10,800秒、おしゃべりに7,200秒…これまでの人生で810,000秒も無駄にしている!」と話しかけては、この“無駄な時間”を時間貯蓄銀行に預ければ2倍にしてお返ししますと触れ回っているわけです。それでみんな時間を節約するためにせかせかイライラしてるみたいなんですけど、その節約した時間は一体どこへ行ったのか?“人の話を聴く天才”であるモモには通用しなかったこの手口に、時間貯蓄銀行と名乗る灰色たちのとった行動とは?モモは人々の時間を取り戻すことができるのか?
これね…本当に面白かったです。面白かったし、全然分からないで見てたなって思いました。以下万が一読みたくなった方のために畳んでおきます。
一番衝撃だったのは灰色の男たちの正体でした。灰色の男たちというか、彼らの咥える葉巻の正体な…!もう本当に恐ろしく、「時間」というものに対する考え方がこの年になってようやくある程度明確になった気がします。
そもそも何故突然「モモ」なのか、といいますと昨年読んだ経済系の記事でこぞって取り上げられてたんです。作中でいう「時間」を「お金」にかえて読んだとき、確かにその構造のおかしさが浮き彫りになってくる、と。ただ実際に読んでみるとそれどころじゃなく…なんといいますか、読み終わってすぐに「すごい、全部お見通しだ」と思ったんです。何かに追われるようにせかせかしている内に、何がムダで何が大事か見失いがちになってくる。それを本当に全く見失った時に訪れる状態、作中では架空の病名で表されていたけれど、その諸症状が今で言う「うつ」そのものだと思いまして、これ何年前の童話だよと。
もう、もうね、いろいろなことに対するひとつのこたえが書いてあったような気さえしました。「時間がない」ってどういう状態なんだろう?何に使った時間が無駄?何に使う時間がもったいないって一体なんなんだ?これは哲学の問題ではなくて、価値観の話だと思います。自分が何を大切にするのか、それは易々と手放していいものなのか…それも口車に乗せられて?そんなことを問いただされているような気になりました。本の最後、これは昔話のようでありながら未来の話でもあるのかもしれない、なんて書かれててまたゾッとする最高の本。本の虫である母は読みたい本がなくなるとこれを何度も手に取ったそうですが、我が母ながらいい趣味してるぜ!!!!!!