ロマンチックモード

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2015年お仕事備忘録

師走の進捗どうですか?ふと気付いたら手が空いてることに気がついたので、2015年を振り返ってみようと思います。愉快な特撮の話じゃないので安心して逃げていいですよ!
とにかくずっとテレビ見てたな〜!という印象で、でも今までもずっと見てたんだけどなんでだろう?と思って考えてみると、生活の中で仕事が占める割合が減ったからだと思います。実働時間も多少減っていはいるものの、精神的負担が激減したのが大きい。
今年の3月、入社以降ずっと隣にいた先輩が色々あって辞めました。4月からは時短のパートさんがその席に座り、今も頑張ってくれています。はてなを見るとぽっかり4月が空いてるんですよね。疲れ果てて書く気力もない、そんな状態だったんだと思います。
辞めた先輩は勤続8年、あまりにも大きな穴が空きましたし、実際それはもう大変でした。パートさんが一通り覚えるまで、勤続10年になる先輩と「彼女が覚えるまでの辛抱だから」と励まし合いながら、2人してヒーヒー言ってました。その期間、思い返せばお互い3人分の仕事をしていたと思います。1人抜けるということは、そういうことなんだと身に染みました。パートさんが受ける1人分の仕事と、抜けた先輩の1人分と自分の分の合計3人分です。パートさんと先輩の分で相殺されると思ってたよね!いやあ、学びました。
ところで、そのパートさんが成長するかどうかは、概ね私に掛かっていました。社会に出て働き始めて3度目の教育係です。1度目は「みんなで育てる」状況で、辞める頃には手の付けられない悪態の付く子に成長し、2度目は何一つ完璧にできないまま辞めていきました。この方に関しては昨年末はてなに吐露しておりまして、今さかのぼりましたところやはりなかなかの強敵でしたよね…それを踏まえて3度目の正直、そろそろまともに育てなくてはならないぞと、これまでの反省を活かし彼女と頑張った結果、夏にはもうガワカツにうつつを抜かすことができておりますね!素晴らしい!私と先輩と彼女の頑張りに!拍手!!!!この成功は、もちろんパートさん個人の人格や頑張りがあったからこそなんですが、それにしても今のこの落ち着いた状況の中で、自分がこの会社で過ごした5年のことを思うと、辞めていったあの先輩はなんだったんだろうと、思わざるを得ない。
とにかく最初の3年間は色んなことを言われ続けたことは良く覚えています。電話を取るのが遅い、ファックスに気付くのも遅い、これがああなわけないだろうなどなど本当に、最初の最初からずっと言われ続けていました。1年半経ったところで言われたのが「何水飲んでるの?」です。1年半働き続けてなお水を飲むタイミングで怒られるという!なんだそりゃ!水くらい自由に飲ませてよ!そんな先輩とも後半は割りとうまくやっていました。先輩が特撮を見始めてくれたお陰で共通の話題ができたのが大きかったです。
表面的にはうまくやってはいたものの、実際は仕事をつつがなくこなすことに労力を、先輩の機嫌を損ねないことに神経を使い、自分の利益でもあったとはいえ漫画のような働きマンの先輩に気を使いながら権利として与えられているはずの休日をなんとなく後ろめたく過ごすという一種の洗脳状態になっていました。この状態もはてなに書いていて、今読むと本当に痛々しい。
辞めた先輩の代わりにパートさんが入り、3人分の仕事をすることになった私と勤続10年の先輩はある共通認識を持ちました。すなわち「何がなんでも休む」です。これが何を意味するかというと、どちらかが休むということはどちらかが4人分の仕事をする日がある、ということなんですが、それを承知の上でお互い休みを取ろうという一つの目標を共有できたんです。これがめちゃくちゃ大きかった…!
今もいるこの先輩とのこの取り決めは最初こそハードだったものの、見返りも大きく得るものしかなかったです。人間やはり休まないとダメですね。ただ休むだけじゃなく、安心して休むことが大事なんだと痛感いたしました。先輩とはあくまでフェアにお互い休んでいたと思います。パートさんがいない日は先輩と2人でお互いがいない日の大変さを共有したりしていました。そうすることでまた休むことの重要さを共有し、今に至っています。
辞めていった先輩から言われた言葉を、私は一度もパートさんに発していません。自分と同じスピードでやるなんて無理だと分かっているから。3人分の仕事をする私や先輩と同様、0から覚えなければいけないパートさんがどれほど頭を使って日々奮闘しているか、見れば分かるから。
今週末、3人で初めて食事をしに行くので、ずっと我慢していた質問をしてみようと思います。最初の頃どうだった?私、怖かった?来たくなかったりした???きっとなー…怖がられてたんだろうな〜〜〜!!!!