ロマンチックモード

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同じ穴の狢

先輩の退職にあたって新しい事務員を補充することとなったわけですけど、12月から始まった僕らの戦いは3月10日現在いまだ闇の中です。いや、正確にはゴールは見えている。希望はまだない。
そうなんです。昨年の12月からあの手この手で求人募集の広告を出しているのにこの体たらく。情報誌の営業マンからも「もう少し採用ラインを緩くしてみては」と言われたりもしたけれど、緩くも何もそもそも応募自体が少ない。困った。
事務員というのはどんな企業にもいるとは思いますが、その内容は企業によって全く違うものと思います。同じことをしている事務員というのは「総務」とか、しっかりした名前の付いた部署の人であろうと思います。私はこれまで「事務員」として何度か転職しましたが、行く先々の事務の内容は全く違うものだったのでこういう捉え方をしています。
こういう捉え方をしているもんで「事務の経験」とか求めていません。せいぜいパソコンが使えるくらいです。「パソコンが使える」の程度も色々ですが、テンキーが打てる、言ってみれば「電卓が使える」程度でいいわけです。これ以上ないくらいリンボーの高さを緩めているのに全然こっちにこない。なんなら頭も下げずに素通りできるのに、こない。いや、もうひとつありました。せめて、せめて、私より先に定年退職しないで欲しい、というのがあったけどこれはもう諦めました。ちなみに私もそんなに若くありません。
何度か転職をしていたので、その都度面接を受けていた私がとうとう面接をする側になってしまったわけですけど、受ける側の皆さんが思っている通り、そして受ける側だった過去の私が想像していた通り、面接で人のことを理解できるなんて無理です。する側になって、やはり分からんな、を実感しています。じゃあどうやって決めるのかというと、これが決めれるんだから恐ろしい。いや、まあ、決まってないんですけど。
面接には履歴書を持参していただいていますが、昭和55年生まれ26歳の履歴書をもらった時には時空の歪みを感じました。履歴書くらい、ちゃんと書けよー。応募動機とか正直内容はなんでもいい。丁寧に書こうとしているか、読む側を意識してるか、履歴書に出てしまってる。これは事務員を取ろうとしているからかもしれませんが、事務員というのはたいていめちゃくちゃ文字を書くので、事務員になりたいなら「人に読ませる字」「最低限の文章」を書いてくれたまへ、です。例えばこれは書道のような字でネットに転がってる素晴らしか文章を書けとか言ってるのではなくて、くせ字でもいいから間違いなく読める字を拙くても自分の文章で書いたほうがいいということです。もちろんギャル文字(死語?)でもいい。読めればいいんだ読めれば!!
履歴書を誤字なく書いて、面接に来てもらえたら、よっぽどのことがなければ個人的には合格なのです。なぜなら分からないから。いくつか質問をして、返答が度を越してあまりにも遅かったり、質問に対する返答が主旨から外れていたりした場合はこの限りではないけれど、実はこの方法で2名ほど入ってもらってるんですよ。まあ辞めちゃったんですけど!
1人は「なんで新人の私がこんな仕事までしないといけないのか分からない」といって1週間で、1人は2日目の朝来ませんでした。なんそれ、ずっるー!
驚くべきは2人とも「普通に」履歴書を持ってきて「普通に」面接も終えて内定の電話にも「普通に」対応してくれた20代後半から30代の女性だということです。これはある意味尊敬に値する。少なくとも繕うことは出来るからである。なんそれ、人狼かよ。
内1人からはその就業期間の短さから想像もつかない量のヘイトを頂戴したわけですが、正直なところ短期間に辞めていただいて安心している。教える労力は教えられる労力の何倍にもなりえる。1ヶ月経ってやっぱ無理とかこっちが泣きたいほどであるし、何より少数精鋭の場で簡単にヘイトを吐き出したりすぐ来なかったりとかマジ迷惑千番こっちから願い下げなのである。
ところでこれは想像でしかないんですけど、一度ブッチすると癖になるんじゃないかなっつーのと残念ながらそもそもご縁がなかったと判断した人たちを含めて「事務」という仕事を舐めすぎだしそもそも我慢の限界低すぎて世間舐めすぎだし上記のような人を取るくらいならいい出会いがあるまでひたすら粘りたいくらいなんだけどそうすると最近通院の増えた自分自身の身体と10年ぶりの電話のコール音の幻聴の再発で私がもたないので今はそういうことのできるかの方々がただ羨ましい私はクソみたいな履歴書が届くたびに「だから無職なんだよ」と悪態をつく日々です。私は仕事は好きではない、仕事をすることによる対価が好きなのである。辞めてぇ〜。