ロマンチックモード

日常と映画と本と音楽について

私は激怒した、理由はまだない。

「隠そうとしたわけじゃないんだけど、実は」なんて言われたら大抵の人はどんな事実が飛び出してくるのか身構えてしまうものだと思うんだけど、私が何度か聞いたこの文言に続く内容はことごとくくだらなく、かつ本当になんで今まで言わなかったのか理解に苦しむものだった。
「なんで怒ってるのかわかる?」という『正解のない問題を出す妻』というのが話題になっているけれど、この問題をすんでのところで飲み込んだのを覚えている。なぜ飲み込めたのかというと、私自身なんで自分が怒っているのか分からなかったからだ。
私が初めて強くこの問題を出したい衝動に駆られたのは、冒頭の言葉に続いた内容を聞いたときだった。たいした内容ではない。明日友達と遠くの祭りにヒーローを見に行く、ただそれだけだ。ただそれだけなのに、今思い出しただけでもやっぱりモヤモヤしてくるのだ。
一番の理由は、前日になるまで幾度も言うチャンスはあったのに何故言わなかったのか、という部分だと思う。念のため確認しておくと私は基本的に相手がどこでなにをしようが好きにすればいいと思っているし実際普段はお互い好き勝手している。でもこの件はかってが違う。ヒーローを見に祭りに行くのを私が好きなことを知っていて、言わないというのはどういうことなんだろう。確かにそのヒーローは私の知らないヒーローだったけど、その日はたまたまそのヒーローが好きな友人とも一緒に会っていた。なのに言わない。
私には何故言わなかったのか理解が出来ないので想像するしかないけれど、本当に「うっかり言わずにここまで来てしまった」くらいの感じなんだろう。もしかしたら「他の友達と行くし、言ったことで連れて行けとなると面倒くさい」とも思ったのかもしれない。ここまで想像して2つ目のモヤモヤを見つけた。なんで言ってくれないんだ!と感じている一方で、でも「隠そうとしたわけじゃないんだけど、実は」という枕詞はいささか重たすぎでは?なんて思うのだ。この内容に釣り合わない枕詞は私に強い不快感を与えた。
何度もモヤモヤしたくないので、後日このことは話をした。遠出だし、ヒーローショーだし、これまで「絶対に混ぜろ」なんて言ったこともないし、これからも言わないから、そういうのは言ってくれないと無駄に傷付く、みたいな風に伝えた気がする。なぜかひどく反省していたけれど、伝わっているかどうかは不明だ。何故ならその後も何度もこの枕詞を用いては隠す意味もなく「実は」と言うにはなんの告白にもなっていないくだらない雑談を話し始めるからである。
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この枕詞には、なんだか色々詰まっているような、深層心理が垣間見えるような気がして不快になるのかもしれない。「隠すつもりはない」という言葉に「隠し事をしないで欲しいと思われている」という自意識と、「隠すつもり」だったものが暴かれてしまった無意識。
私には「隠し事をしないで欲しいと思われている」だろうなという気持ちがないので、自分からこの枕詞は出てこない気がしている。余りに頻繁に使うようならうつる可能性もあるけれど。