ロマンチックモード

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女子力?自分力!

10月2日、朝まで眠れないことの多い私を気遣って、友人が自宅に招いてくれた。火曜日から水曜日にかけての、平日お泊り会の開催である。

確かに夫のいびきはうるさいし、唸り声もでかい。でも少しずつ慣れてきて、人間の適応力の高さに驚いていたのだけれど、震災以降またふりだしに戻った感じなのだ。いびきに起き、唸り声に起き、上階の住人の足音・物音もまた耳につくようになってしまった。そもそも私自身はRSRのレジャーサイトで熟睡できる人間なので、物音自体よりもその性質が噛んでいるような気もする。

友人の家は地下鉄駅から近く、その割に車の通りは少ない静かなオフィス・住宅街の一角にあった。12階建てマンションのちょうど真ん中くらいの階でエレベーターを降り、角部屋の扉を開けると、もうその瞬間から友人の世界が広がっていた。

率直に言って、決して整理整頓されていたり、お洒落な収納が施されているわけではないし、物も多い。単身者用の新しくはないマンションだからか、設備的にもお世辞にも良いとは言えない-トイレは別だったけど脱衣所がなかったり、洗面所もなかった。しかし、妙に落ち着くのだ。ちょっと見上げれば洗濯物が干していたり、台所には厄払いでもらうお札をバックに従えたプリキュアのフィギュアがあったりするのに、めちゃくちゃ落ち着く。

友人は私にあらゆるものを与えてくれた。布団、洗濯済みのタオルケット、寝間着、バスタオル、フェイスタオル、あらゆるお風呂道具、お水、お茶、コップ、朝ごはん。これらのものを全く無理している風でもなく提供してくる。無理をしているのか?いや、恐らく好きでやっているし、できているのだ。

上記の通り、友人の家は、設備としては私の家より足りていないはずなのに、友人も、まして私も特別無理なく過ごした一晩だった。それは、友人がその家で暮らすルールを自ら整えた上でしっかりと生活をし、そのルールを私にも課したからだと思う。
そう、ルールだ。物が多くても、整頓されていなくても、彼女の好きなもので溢れ、雑然としているようでちゃんと飾られた、納められたモノたち。カーテンをして、足元にヒーターを置けば玄関先のトイレ前の空間はしっかりと脱衣所になっていた。すぐに洗濯機があるからお風呂の水を寄越すときにはトイレに行くときホースに気を付けなければいけない。湿度が下がると体調がよくないから寝るときには加湿器を点ける。

友人はあの2DKでしっかりと生活していた。今回私を泊めてくれたのは友人が何度も何度も言ってくれたからなのだけど、実際に泊まってみて、友人はまず自分のルールを私に課してくれた。これは自分のスペースに他人を招き入れることの責任の所在が自分にあることを物語っているようだった。他人を招き入れること、一緒に生活すること、そのベースとなるものが一体何なのかということを、気付かされたような気がした。