ロマンチックモード

日常と映画と本と音楽について

第17話 進む

4月1日、新元号が発表されて、無責任に楽しい気持ちになったときにふとこの土日のことを思い返していた。

ここしばらく『成果』というものが感じられなくなっていた。最近になって一気に体形が崩れてきたのでこれまでより強度を高めたトレーニングをしているものの、全くと言っていいほど変化がなく、その代わりやればやるほど体のダルさというか、不快感が強くなっていき、この土日はトレーニングをしないことにしてしまった。なので昨日はニチアサを見て、高校野球を流しながら「Cities:Skylines」をプレイして、そうして1日を終えた時に「土日、すごくつまらなかったし何もしなかった」と非常に悲観的な感想を抱きながら眠りについたのだけど、実は全くそんなことはなかった。

土曜日は掃除機を掛けて、掃除機自体のダストボックスも掃除した。ストックが把握できない状態だった洗面所の下の収納も整頓して、夕方から買い物にも出た。夜は夫とカラオケに行って、そしたら「名探偵明智小五郎」の放送を思い出して慌てて帰ってきたのだった。昨日なんて洗濯をしたし、作り置きおかずを5品こさえた。(もちろん「名探偵明智小五郎」も見た)

気分が鬱屈としてくると自分の行いの価値を低く見積もる傾向がある。料理を面倒くさいと言いながら5品も作ればちゃんと印象に残るように思えるけど、一瞬で立ち消えていた。料理を作ったことよりそれ以外の時間をゲームやテレビに費やした罪悪感の方が大きかったらしい。

こんな風に無駄に悲観的になって、「なんだかもう生きていても面白いことなんてない気がする」なんて大仰に考えることは私にとって珍しくはなく、そのたびに「気分の波がないように生きたい」と願ったり、そうなるよう努力してみたりするんだけど、ふと今日は違うことを考えていた。

気分に波がないのは、それ自体がすごくつまらないかもしれない。新元号が発表されて、来月からその元号になる。ただ呼び名が変わるだけで、私の生活にはさして変化はないだろう。やたら楽しい気持ちになっていたけれど、生活用品が値上がりしていたり、なんなら10月には増税が決まっているわけで、厳しいと思われる未来が確定している。それでもこの無責任にあーだこーだと大喜利をしながら新しい元号に馴染んでいくこの瞬間の、気分の波が上がる感覚というのはとても気持ちのいいもので、波というのは下があるからこそ上がるわけであるし、上がったらもちろん下がっていくのは当たり前で、やはり波はあったほうが楽しそうだな、なんて思ったのである。

あまり下がりすぎるのは疲れてしまって良くないけれど、「波風の立たない人生」というのはそんなにいいものじゃないような気がしてきた。気分の波が下がることを否定しないまま、それをうまく上げる方法(できれば安く)をしっかり自分に対して行って、そうやってこのあとの時を過ごしていければいいな、なんて考えていたのだった。

あと、令和の『令』という字が苦手なので、上手に書けるようになれたらいいな、とも思った。