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映画「スパイダーマン:スパイダーバース」


映画『スパイダーマン:スパイダーバース』予告

あらすじ:
ある日、放射能に汚染された蜘蛛に噛まれてスパイダーマンになってしまった。あとは知ってるよね?単位を取得し、街を救った。

アカデミー賞長編アニメーション部門受賞、納得の映画であった。アメコミをそのまま映画に落とし込んだ演出は、初めて見るのに見たことがある、不思議な、そして新鮮な気持ちにさせてくれるものだった。以下ネタバレしています。


色んな世界線にそれぞれスパイダーマンがいて、ひとつの世界線に集まり力を合わせて危機を救い、またそれぞれの世界線に戻っていく。主人公でありそんな状態を作り上げた世界線にいるスパイダーマンが一番馴染みのあるスパイダーマン(良く喋りMJが好きで元気な若者)だったのに、早々に死んでしまう。残されたのはまだその能力を使いこなせない見習いスパイディ。

1人の未熟な若者の成長記録であり、「スパイダーマン」という作品についてのメタでもあり、「正義」や「ヒーロー」に対する強烈なカウンターでもあった今作、私にとってはあることに気付かされたものとなった。

本作の主人公はスパイダーマンの力を使いこなせない状態からスタートし、上映時間中の9割方その状態である。他の世界線スパイダーマンがスイングしたり糸を巧みに操り好戦していく中で、自分の力を思うように発揮できず思い悩むわけだ。つまり主人公を追っている限り『スパイダーマン』特有の気持ちのいい映像は、まあほぼない。この映画は「スパイダーマン」というよりは「1人の若者の成長」の映画なのだ。これを見てようやく私は気付いた。私はスパイダーマンが好きだと思っていたんだけれど、私が好きだったのは「ピーター・パーカー」だったのではないかと。

今作の主人公をすんなりと好きになれれば一喜一憂できたことだろう。なんなら今作にはいろんな世界線スパイダーマンが登場し、それぞれちゃんとスパイダーマンでありスパイダーウーマンである。それが冒頭のあらすじだ。かなりメタく自己紹介してくれていて、見る限り彼らは確かにスパイダーマンであった。でも、それでも、私が好きなのは赤いスーツでダイナミックにスイングし、己の腕と蜘蛛の糸だけで電車や船を支えてしまう、ピーター・パーカーのスパイダーマンだった。それを確認させられたような感じだった。

もちろんいる。冒頭で死にはするが、別の世界線のピーター・パーカーは死なずに中年太りした状態でやってくる。彼は確かにピーター・パーカーだったしifとして100点だったと思う。この世界線でのMJとの嚙み合わないながらも成立している会話は最高にピーター・パーカーだった。ただ、今作の彼はあくまで主人公のメンターであった。

ああなるほど、私が『スパイダーマン』を好きな理由の一つが、その孤独さにあるのかもしれない。仲間がいて、メンターもいる、福利厚生の整ったスパイダーマン。うーん、いいけど、それはちょっと他で足りてるな。例えばアヴェンジャーズとか、スーパー戦隊とかね。

そんなわけで、私が『スパイダーマン』映画として気持ちよく見れたのは最後の戦闘シーンくらいであった。それとは別にこの映画は成長壇として十分面白く、ティーンネイジャーの悩みを内包した魅力的な物語であり、演出手法も楽しく、素晴らしい映画であることには違いない。そして私はひっそりと、PS4のゲーム「スパイダーマン」の購入を決意したのである。