ロマンチックモード

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映画「マイティ・ソー/バトルロイヤル」

4月23日、ソーマラソン完結編「マイティ・ソー/バトルロイヤル」を鑑賞した。

あらすじ:
家族のごたごた。

ご承知の通り私はロキが好きなのだが、この映画の所為で完全に拗らせた。そもそも「インフィニティ・ウォー」の結末をなんとなく知ってしまっている為、その直前にこのようなお祭りじみた映画を見せられても「この時は楽しかったよね…」という別れ際の重たい女のセリフしか出て来ない。完全にロキのモンペと化した私から見たこの映画におけるソーについて書き連ねていく。


ソーのここがダメ1:すぐ怒る。ハンマーに頼りすぎ。
ソーのここがダメ2:ビールクズ。お茶飲んで!
ソーのここがダメ3:髪の毛気にしすぎ。
ソーのここがダメ4:ロキの姿を見てはしゃぐ。
ソーのここがダメ5:ハルクと低レベルな口喧嘩をする。
ソーのここがダメ6:兄としてロキへの仕返しがひどすぎる。
ソーのここがダメ7:ロキに行かせるんかい。
ソーのここがダメ8:目が光る。
ソーのここがダメ9:はっきり言わないと分かんない。
ソーのここがダメ10:ロキが大好き。


ソーはなんだかんだいってロキに頼りすぎでは!?!?!?!?!?!?


失礼、取り乱してしまった。これを観た直後の私と言えば「ソーあってのロキ…ロキあってのソー…」と繰り返すだけの屍人となったのは言うまでもない。すぐさまこれを借してくれた姉に伝えたところ「限界か…」と返ってきた。誰が限界オタクだ。


しかし人に言われたのなら仕方がない。どの部分が私を限界にしたのか振り返ってみると、やはり「兄弟」みの強さだと思われる。随所に挟まれる幼少期のエピソード、強度高めのいたずらの応酬、数え上げればキリがないが、一番はその会話だろう。あの局面で8歳の時のエピソードするヤツがいるか?ペラペラと喋るロキに対し石ころを投げ続けるソー。あれはなんだ。あれは完全に家族であり兄弟だろう。全く何を考えているのだ。これは最後のシーンまで引っ張られる。「本当にいたらハグしたいくらいだ」とモノを投げ、それをキャッチし「いるよ」と言うロキに全私が崩壊した。なんだなんだ。戦争か?これがかのインフィニティ・ウォーか?(は?)なにがインフィニティかってこの兄弟がインフィニテ


地球に行く、となった時に「自分も行って大丈夫か」と普通に兄に聞くロキもロキである。このシーンで完全に体を大の字にして世界に感謝したよね。私の辞書にまた「尊い」という文字に意味が追加されてしまった罪深い作品である。


そもそもこの「マイティ・ソー」シリーズを見始めた段階から「オーディンひどすぎない?」と思っていて、ロキのことを拾っておいて端から王にする気が無かったり、そりゃロキもそうなるよな、の応酬なのである。なので今作でオーディンが亡くなり、ソーと二人並んで戦うロキの生き生きとした姿がもう眩しくて仕方がなかった。ロキよかったねロキ。というかあからさまにソーとロキが揃って何かをするシーンがしっかり格好良く撮られていてニチアサ的に言うとこれは「同時変身」のそれであった。めちゃくちゃ格好良かった。仲良く喧嘩しな…。


この短時間で「マイティ・ソー」シリーズを摂取した所為で異常反応が現れてしまったが、とりあえずこれで「インフィニティ・ウォー」を見る準備は整ったらしい。不安に思った私は姉に「本当に大丈夫か?ロキへの愛を募らせただけなのではないか?」と相談したがすぐに「大丈夫。つながる。」と返ってきたのでそこは信頼しておきたい。ソーとロキの話しかしていないのでちゃんと見ているのか心配されているかもしれないが、ちゃんと見ているつもりである。アスガルドの民が地球へ行く理由とロキの四次元キューブへの視線が次に繋がるのだろうと予想している。


惜しむらくは「ドクターストレンジ」と「エイジオブウルトロン」を観れなかったということだ。26日20:20の「エンドゲーム」のチケットを購入したので今日か明日に「インフィニティ・ウォー」を観ればいいことになるわけで、どちらかにねじ込むこともできるが正直迷っている。25日にはニコニコ生放送で「インフィニティ・ウォー」が放送されるので、一旦1人で把握してから皆でサノスへの怒りを溜めるのもいいかもしれない。


こうして私は札幌ロフトで緑と金色でギラギラと輝く「L」と書かれたポーチを買う羽目になったのであった。