ロマンチックモード

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映画「鈴木先生」

ドラマでは1学期から夏休みまで山あり谷あり描いていましたけど、ここまで直結させてくれると思っていなくてオープニングから震えました。生徒たちの成長と新たな課題、そして描かれる分かれ道。
鈴木式教育メソッドとしては目新しいものはなく、ドラマで描いていた事の集大成のように見えました。鈴木先生と一緒に考え現在進行形で成長している多くの「普通の生徒」と、過去の「普通の生徒」の対比が残酷に描かれます。
大好きなので、べた褒めするよ!
まず、ドラマから感じられる『妙なリアルさ』が健在で安心しました。ギリギリのラインで映画という仮想側に属しています。それくらい、怖い。
2−Aの面々が懐かしくて嬉しかったです。みんな変わってない!本当に地続きでこの中学校に通っている、と錯覚するくらいこのクラスはよく出来てる。顔かたちからキャラクターまで「こんなヤツいたな」って思わせてくれるんですよねー。
今回のドラマとして過去の「普通の生徒」の部分が胸に突き刺さります。本当にそうなんだよなーと。今現在周りを見渡してみても中学や高校当時あまりに自由すぎる人たちほど世間一般に言われる「幸せ」を手にしている率が高い。(たとえば結婚とか、大手の企業に勤めてたりとか)そしてそうではない「普通の生徒」のうちの何人かが、大人の「普通」からとりこぼれてしまう。
ドラマ版の終盤に掃除当番の出来事から始まる女の子の話があって、いい大人になってから私はかなり救われました。

「この学校生活は多くの普通の生徒たちの心の磨耗の上で成り立っている」

今あんなことやこんなことになってるみんなと中学2年のときにこの言葉を聞けたら何かが変わってたかな、と思ってしまう、そんな言葉です。そして映画の最後、鈴木先生はこうも言います。

「俺もそういうふうになっていたかもしれないんだ」

これはでも「そうだろうな」と思わざるを得ない。そうじゃないと上の発想には行き着かないと思うのでね…。
ところで、ドラマ最終回でとうとう壊れた足子先生ですが、戻ってきた足子先生が身につけてきた能力は決して「よくないこと」ではないと私は思いました。あれは足子先生が見つけた「自分を維持するための手段」。このドラマではどうしてもヒールになってしまう足子先生だけど、それは鈴木先生の教育方針と食い違ってしまうからであって、基本的には生徒思いのいわゆる熱血教師なんだと思う。じゃなきゃそもそも衝突しませんしね!そしてその基本的な部分が教師としてちゃんとしているからこそ「手段」としてやったことは更新される。救いがあるなー本当よくできてる。
鈴木先生の実験の結果がわかるのは、恐らくざっと10年後。訪ねてきた元不良少年についてもまた、思う事多し。以下気がついたこと。

  • 「話し合う時間はないだろう」に本物の大人を見る
  • 卒業したあとわざわざ先生訪ねたりするか?
  • 部活とかなら分かるけどなー
  • 私だけだったらごめんなさい
  • 同窓会とかの機会がない限り「先生に会いたい」とかはね〜
  • オープニングの仕掛けもそのままに
  • Lesson11!
  • 妄想ももちろん健在
  • そしてもちろん足子専用スポットライトも健在!!!
  • まさかのハマケン
  • ハマケンちょうキモい!(褒めてます)
  • いとしくんすごいねぇ!!!
  • そしてやっぱり小川
  • 女神だよ。女神
  • そして、出水の素晴らしい演説
  • 責任と手段な
  • 神田マリ…こういう顔のこういう子いたわ〜本当いたわ〜
  • いやそれにしてもいとしくんほんとす(ry

映画に合わせて金曜深夜にドラマ版再放送始まってますね。全部録画とっといてあるのにまた録画しちゃって見てみたらやっぱり面白い。Lesson1、鈴木先生は「バレたことが罪」とハッキリ言ってくれてるんだけど(この結論自体…!)、そこから生徒の心を底上げしていく部分が面白いんだよなー!

「だから鈴木先生は信頼できるんだよ」

これに尽きる。好き過ぎだぜ!