ロマンチックモード

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映画「シェイプ・オブ・ウォーター」

あらすじ:
ひとりどうしの愛の物語。

ずっとずっと見たくてようやくBlu-rayで見ました。以下ネタバレしています。

あまりにも美しい映画で、え、こういうの見せていただいてよろしいのですか?大丈夫ですか?法に触れません?という気持ちで2時間過ごしました。

まず、イライザの生活が美しい…おじいさんとの関係も、友人も、仕事も、すべてが整いつつイレギュラーを楽しんでいる。もちろん前提として家や部屋、インテリアの美しさやおしゃれな洋服、制服の数々に2時間眼福だったわけですけど、そこにイライザの生活でしょう。脳が!溶ける!美しすぎて!!!
イライザと彼のやりとりも綺麗でうっとりして見ていました。彼が「卵」という手話を真似した瞬間もう、あっこれ見ていいやつ?大丈夫?尊すぎて目がつぶれるヤツじゃない?と確信したら、もうもう、予想のはるか上を行く描写に「あー!そんなところまで!!!供給過多!!!!!!」というオタクの悪い癖で途中からほとんど体育座りで見ていました。尊すぎて。

彼を助け出そうというところでおじいさんに反対されたイライザが「ここで何もしなければ私たちも人間ではない」と強い言葉でいうあの場面は、それまでの彼とのやりとりを思い出すとあまりにも悲痛でありだからこそこれが純愛だとつい思ってしまったのでした。いきなり涙がドバっと出てしまったシーンです。
実はこのシーンは以前見てしまっていて、今回文脈をようやく理解して涙が流れて、なるほど確かにこのシーンがこの映画を表す重要なシーンではある、納得である、と思いつつ、私はそのあと、彼が家に来てからのおじいさんの一言が胸に焼き付いています。

おじいさんが寝ている間にお風呂から出てしまった彼が飼い猫を食べたシーン。おじいさんが、「猫を食べてしまった…仕方ない、彼の本能だからね」とイライザに言う。ちょろちょろと出てきた子猫に「命拾いしたね」と言う。ああ、これだ!と腑に落ちたのです。この不完全で、汚くて、管理された世界を生きるイライザとおじいさんが美しく見えるのは、この精神なんだろう。起きたことを受け止め、今現在のみを生きる。一瞬未来を生きようとしたおじいさんも結局イライザと今を生きることを選んだ。
その事件の後、子猫と戯れる彼に猫とは関わらんとけとたしなめるおじいさん。そこをスルーするとまた「なんでも受け入れないといけないのか?」ということになってしまうので、そこでくぎを刺すのもよかったです。ていうかこの子猫と戯れる彼可愛すぎでは可愛すぎるでしょう本当目がつぶれるかと思っ

いやもう本当に、これまでいろんな映画を見ていたけれど、ここまで「見たかったものがついに映像化された」と思ったのは初めてかもしれません。最後まで、しかるべきところにおさまっていった美しい映画でした。最高でした。