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映画「アメリカン・アニマルズ」


犯罪映画を参考に作戦を練った大学生、まさかの実話/映画『アメリカン・アニマルズ』予告編

あらすじ:
真面目でもなければ不真面目でもない学生が集まり、図書館へ強盗に入る。

本人たちとその家族や被害者の証言を基に俳優が演じるのだけど、序盤から平然といわゆる【壁】を壊してくれる手法の今作。予告に『オーシャンズ11』の名前があるが、はっきりいって真逆の面白さである。いや、真逆というか、全く違う種類の面白さなのだ。スマートでエキセントリックな強盗映画を観たい場合は決してお勧めできない。


この映画で強盗をする4人の学生は良くも悪くも平凡だ。いや1人だけ、グレた子もいる。ウォーレンだ。でもそんな彼も「グレた」程度のガキンチョであり、普通の枠は出ない。いよいよ実行の段になると2人では不可能なことを悟り、2人仲間に誘う。この2人がまた可哀そうなほど普通なのだ。そんな彼らが何故強盗を企て、実行したのかを、本人たちの証言とともに鑑賞できるのが本作の面白さだ。そう、本人が登場するのである。


ただただ「何故か最後まで走ってしまった」という事実が語られ映し出されるわけだが、そこかしこに彼らの関係性が散りばめられる。そしてそれはあまりに純粋な、ただの友情だったりする。すでに別の道を行く4人の、最高に情けない青春ロードムービー、それが「アメリカン・アニマルズ」だ。


ウォーレンを演じるエヴァン・ピーターズのコロコロ変わる表情とファッションが目の保養にもなった今作、人にはお勧めできないが、見ておいて良かったと思える一本だった。以下ネタバレしています。



ずさんにずさんを掛けたような計画に、「やめとけよ」というツッコミが追い付かない本作。2人でわちゃわちゃしていたころが一番楽しそうだったのが、あるあるすぎて少し辛い。旅行や遠足も計画している時が一番楽しかったりするものなのだ。


私がこの映画をなんだかんだ良かったと思えたのは、彼らがあまりにも普通で、後悔していたからだ。1人だけ傷つけてしまったけれど、それに対する後悔も半端ない。この事件を『映画』として楽しんでしまっているこちらとしては、結局彼らは「なにもしていない」と言っても過言ではないレベルなのに、それに対する後悔があまりに重たく彼ら自身にのしかかっている。残酷な話だ。


もう一つはその演出方法だ。【第四の壁】を壊してくる手法である。これがかなりスムーズに入ってくるのが面白い。特に秀逸なのは証言のズレを確認するウォーレン(本人)とウォーレン役のエヴァン・ピーターズのやりとりだ。再現映像(笑)の途中から車の助手席に本人が乗り込み、運転席にいるエヴァン・ピーターズが「スペンサーはこう言っているけど合ってる?」なんて確認をしだす。ここで本人が「スペンサーが言うならそうなんだろう、それでいいよ」と返す。


演出とは別に、ここが大変興味深いシーンでもあった。彼らの関係性がジワジワとにじみ出てくるのである。このシーンは映画の序盤だが、終盤ではスペンサー本人がウォーレンについてこう語るのだ。「この部分は彼しか知らないから嘘かもしれない、でももう僕は信じる物語をどれにするか決めたんだ」と。

絶えず流れているのは、人とのつながりと友情だ。そしてそれは、時に美しくない。ただ、味わい深くはある。


この「アメリカン・アニマルズ」は施設老朽化の為6月2日に閉館する「ディノスシネマズ札幌劇場」で鑑賞した。8階にあるスクリーン5。2005年に『太陽』を観たスクリーンと同じ場所だった。この映画を札劇で観れたことを大変嬉しく思う。単館とシネコンの間を埋めてくれる希少な劇場だったので、きっといい場所を見つけ、再開してくれることを願っている。