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映画「スパイダーマン:ファーフロムホーム」


※この感想にはエンドゲームのネタバレが含まれています

あらすじ:
エンドゲームの戦いからしばらく経ち、ピーター・パーカーは科学部のみんなと夏休みの旅行へ行く。

6月28日に字幕で、7月1日に吹替で観たMCUフェーズ3完結作「スパイダーマン:ファーフロムホーム」。すでにMCUの全作品を観てしまったし、すべてのキャラクターに愛着を持っているのでこの映画の出来を冷静に判断することは不可能だと自覚している。その上であえて言おう、最高であると。

スパイダーマン単独作である前作「ホームカミング」は、「シビル・ウォー」を経てから視聴したため完全なるご褒美映画として私の中で位置づけられている。すなわち「あんま重要じゃない」って感じだ。良くも悪くも平凡にピーター・パーカーの成長をMCU的に描いているだけであって、ライトな作風と『起承転結』でいう『起承』がいやに長いのが特徴だ。そしてその作風は単独作第2弾の今回にもしっかり受け継がれている。


戦犯はジョン・ワッツ監督にしたい。ホームカミング(以下ホムカミ)にしろファーフロムホーム(以下ファーフロ)にしろ監督はピーター・パーカーがこてんぱんにやられてるのが好きすぎる。どちらの作品もほとんどの時間、ピーター・パーカーはあらゆることに悩み、頑張り、その上でこてんぱんにやられる。普通こてんぱんにされるまでが『起承』で『転』では新たな事実が判明し反撃に出たり、新たな力を得たりするんだけど、それまでに散々こてんぱんにされながら『転』でさらにこてんぱんにやられる。すごいやられようだ。しかもホムカミもファーフロも一つの事象にそこそこの時間を掛けながら「まだ承…?」という具合なのである。見る人が見れば冗長だし、ジョン・ワッツ監督はドSだと思う。だがしかし、スパイダーマンの映画としては大正解としか言いようがない。悩み、頑張り、こてんぱんにされながらも前に進んでいくのがスパイダーマンだからだ。


で、肝心のファーフロムホームがどのように最高だったのかというと、これまでに丁寧に築き上げてきたものを踏襲し、それらを破綻させることなくピーター・パーカーの成長檀として昇華させたところに帰結する。16歳のピーター・パーカーにはかなり酷な試練ではあったけれど、その流れのなんと滑らかなことか。今作の敵も見事なまでにこちらの心臓を抉ってきた。我々が「ピーター・パーカーはまだ子供だ」「子供を戦争に行かせてはならない」なんて親のように心配している気持ちの裏を、心の奥底に溜まっているであろうドロリとした願望を無理やり前に引っ張り出すような鮮やかな手口に絶望したのだった。


単独作ではあるものの、この作品は例えば「シビル・ウォー」がキャプテン・アメリカを冠しつつそうではなかったのと同じく、トニー・スタークとピーター・パーカーの関係性とインフィニティ・ウォー、エンドゲームで何が起こったのかを知らないとかなり厳しい流れになっている。ただ、他の作品と同じようにアクションとシリアス、そして笑いのバランスは間違いなく絶妙に素晴らしく、MCUフェーズ3を締める作品として申し分ない映画だったと思う。私にはもう「一つの映画として」どうだったかが分からなくなってしまった。そしてそれは私にとって、とても幸せなことなのかもしれない。


そうそう、字幕と吹替だとニュアンスがかなり違うので、ライトに楽しみたいときは吹替をオススメする。


以下ネタバレしています。




なぜ下から脱いだピーター・パーカー


というわけでめでたく被弾した「スパイダーマン:ファーフロムホーム」。公開日には「なにがデザートみたいな映画だ!!!!」とケヴィン・ファイギにキレ散らかす始末だったけれど、吹替を観てなんとか持ち直しました。以降は思いつくまま今の気持ちを書き留めておこうと思います。


ピーターとMJの甘酸っぱいティーンの恋はもういつまででも観れそうなくらい最高でした。なんだかんだMCUでは大人の恋愛事情しか描かれていなかったので、かなり新鮮だったし、トム・ホランドゼンデイヤが本当に良かった。最初っからだけれどもMCUのキャスティングはすごいね。本当素晴らしい。


いや、そんなことよりですよ。16歳の少年にどれだけの試練を与えれば気が済むのか。これほとんどフューリーとトニーのせいだからね。死して尚迷惑を掛け続けるトニー・スターク!!!トニーの作るシステムがいちいちザルすぎるんだよ「うん、標的!」でミサイル発射ってどういうこっちゃねん。フューリーも異星人に子守り任せてんじゃないよ。そこ責任取れないならちょっかいを出すべきではないでしょうよ。親愛なる隣人としてピーターはやることやるからほっとけこのやろう!!!!


ハッピーとメイおばさんが唯一の救いで、(あとオランダの方々)特にハッピーに迎えに来てもらった時の安心感たるや。そして珍しく気持ちを爆発させるピーター。メイおばさんにも声を荒らげないピーターの珍しいシーンで、ハッピーのことを本当に信頼しているし、甘えているんだな、と思えるシーンでした。そして新たなスーツを自分で作り上げるあの場面!!!!MCUをずっと見てきた我々としてはハッピーと同じ目線だったと思います。トニーのように機械を操るピーター。それを見つめるハッピー。あそこで特別トニーの映像を引き合いに出さないところが憎いところです。もっと感動的に分かりやすくしようと思えばできるのに、しない。そこが制作陣と視聴者との信頼関係で成り立っているようにも見えて、グッとくるところでもある。


でもって今回の敵ミステリオなんですけどね、初回に正体が現れたときの絵が衝撃的で。これまでのMCU作品の舞台裏じゃないかと。これもういろんな人が言っていることだと思うんですけど、MCU作品のNGシーンや制作現場の風景がどうなっているのかを知っているのと知っていないのとでは衝撃度が違うシーンだと思います。撮影中のマーク・ラファロスパイダーマンと同じような濃いグレーの服を身に纏った劇中のミステリオにまずショックを受け、裏切られ続け電車に轢かれボロボロのピーターにショックを受け、予告で流れた目を真っ赤にさせたシーンに繋がっていく。初回は本当にこの流れが辛くて辛くて。なんでピーターがこんな目に合わないといけないのかと頭を抱えました。


でもね、成長してるんですよ…初めて戦闘中に「助けて!」がなかったのです…いや迎えに来てはもらったけど!!!もらったけども!!!!ピーターといえば「いけるいけるいけるいやムリ助けてーーー!!!!!」だったじゃないですか。今回はね、ない。自分で気付いて、自分で反省して、自分で解決しに行く。悩むし泣いちゃうけど、ちゃんと自分で進むんです。(いつかまた「アベンジャーズ」をやるときには、ソーに「”助けて”やるか」って誘われて欲しい。「お前得意だっただろ」なんて茶化されて欲しい…)


残念ながら吹替で拾われなかったのが、ピーター・パーカーを肯定するセリフです。ミステリオから散々「素直すぎる」と蔑まれ続けたピーターに、壊れたブラックダリアを受け取ったMJは「欠点があるくらいが丁度いい」というのです。このドンガラガッシャンな映画の帰結するところが、MJのこのセリフだなんて素敵すぎません??素敵すぎませんか????いやもうね、最高傑作です。傑作!!!最高!!!!!


あともうひとつ、初めて語られるハッピーのトニー評。これが思いのほかズドンときました。ハッピーから見たトニーの姿は新鮮でした。悩んだ末の決断が、時に悲劇を生んだことを知っているわけで、それをああいう風に語れるハッピーはまさに一番近くで見ていた人の目線であるし、「唯一悩まなかったのは後任を君にすることだ」と言ったのは、きっと本当なんだと思う。もしかしたらトニーは自分にないものをピーターに見ていたのかもしれない。たとえば素直に人に「助けて」と言えるところだとか。それにしたってイーディスの頭文字は流石でしたけどね!?!?


まあとにかくスパイダーマンの映画としては最高でした。最高でしたよ?でももうそんなこと言ってる場合じゃない。ネッドとMJとピーター・パーカーのドキドキ青春ムービー一本撮っておこう。いや保つもんだってこれ。画面保つから。大丈夫大丈夫。このメンツでただの学園もの撮っておいた方がいいよ。


結局マルチバースは夢に終わったかに見えるけれど、エンドゲームの直後にこんなの見せられたら、全然まだまだついていける。信頼できる。そう思えた「スパイダーマン:ファーフロムホーム」でした。いやーそれにしても、今後毎回登場人物の挙動にこんなに一喜一憂すんの…?キッツ…