ロマンチックモード

日常と映画と本と音楽について

期待することに臆病になっているということ

ところで先述の祭に一緒に言ってくれたかわいこちゃんは、非常に良い子です。(なんだそれ)知識を増やすことに対して全く臆していない。広大な情報量の中で自分が興味のあるものを正しく理解して丁寧に掘り下げられる素敵な人。
で、話しているうちに私が全くの逆であることに気付かされましたプギャー!(プギャー!)音楽でもそうですが、たとえば「この人は昔どんな曲を聴いて育ったんだろう」とか「この人は何に影響を受けて…」とかに興味が行くと思うんですけど、私、全く湧かない!それに付随してたとえば「この人のドラマは絶対見る」とか、ない。だから多分要するに「人に興味が無い」という悲しい事実が浮き彫りになりました。作品にしか興味が無いからこういう風になるんじゃないかな、と1人で考えてました。
もちろん例外もあります。クドカンです。もちろん全てじゃなくて、恐らくタイトルとかイキフンで自分の中のふるいにかけて選びます。「クドカンだから」というだけでふるいにかけるんだから私の中ではすごい革命なわけです。
根底には「期待したくない」という思いがあります。この人の作品なら面白い、とか思いたくない。そして作品の中から無闇に意味を見出したくないというのもあります。(これはただ単に私が臆病なだけです。なぜなら大体の人にはびっくりするぐらい深い考察が隠れているので。芸術家(?)だから当たり前なんですけどね…!)知って理解できるかどうか不安なのですよ。というか理解できない自信がある。
でもこのずんぐりむっくり(言ってみたかっただけです)がついに重い腰を上げようとしています!(まだ上げてません)というのも一緒に行ってくれたかわいこちゃんが素直に「伊坂幸太郎は大好きです!」と言っていたから。これ、ちょう羨ましいんですよ。言ってみたいんですよこういうの。だからちょっとやってみようかなと思ったんです。動機が不純です。でも始まりってこんなものなのかな、とも思うんです。て書いている今も【伊坂幸太郎】自体にはあまり興味がないので変わってないのかもしれないけど、便利な世の中なので、多分彼の名前をポンと打ち込めばwikiとかに簡単に載ってる。「何年生まれのどこ出身で何々に影響を受けた」とか簡単に知れる。だから世の中的に多分知りやすくなっていると思うので、うまいこと活用していつしか堂々と「伊坂幸太郎好きです!」て言えるようになりたい。





ちなみに、助走としてとてもよかった「夜のピクニック」の作者、恩田陸の「まひるの月を追いかけて」を読み進めてるんですけど…進まない…先は長いのであった。まる。
意外と読んでるのもあるけどね。宮部みゆきとか、小川洋子とか。女流作家が多いです。今までのチョイスが悪かったのか、男性の作家の作品には全く関係のないデータの羅列が多くてうんざりする経験が多いから。ちなみに伊坂幸太郎はそんなことないです。「アヒルと鴨のコインロッカー」、すごくよかった。