ロマンチックモード

日常と映画と本と音楽について

痛さを知った者だけが強く優しくなれる

最近の鼻歌がもっぱら「潮騒のメモリー」であの悪魔的なメロディにやられてる。刷り込まれ方ハンパないこわい。
仕事的に恐ろしい事態が起ころうとしておりますが、昨日「トイ・ストーリー3」を見て号泣したらちょっとスッキリして視界も開けてきました。あれはさ、最初にちょっと「えぇっ」てなった後はしばらくいつものトイ・ストーリーなんだけど、最後だよね…最後アンディが手にとっておもちゃ達を見るあの目だよね…!え?違う?その話じゃない?
昨年からいろんな意味でジワジワしてはいたんですけど、いよいよか…と思ってる。前にも書いたし久しぶりに見てる朝ドラで主人公が言い出したのでびっくりしたんですけど、いよいよ自分のコンプレックスと本気で向き合う時期にきてるなと、そう感じています。海女のアキちゃんが17歳で言い切ったことを…いい年してやっと…!
昔からずっとなんですけど、なんで自分にはこんなに自信がないのかねと呆れてしまいまして、今回はちょっとかなり長く潜ってしまいました。しかも「自分ってどこかから何かを学んだりしたっけ?」というかなり面倒くさい見失い方で。で、思い出した。私、音楽だ!音楽というか、歌詞だ!歌詞からいろいろ学んだり元気になったり目標をもらったりしてたんだなってようやく思い出しました。新しい仲間が増えて、話を聞くたびに尊敬すると同時に勝手に自分を下げていた。根っこに自信が無さ過ぎて素晴らしい話を聞けば聞くほど「ほら」「やっぱり」って自分のこと下げてたんだなー。
遠くばかりを見過ぎてもダメだけど、刹那的すぎるのも痛々しい。そう思いながら昔の曲をちょろちょろ聴いていたら当時とは違うところに気が付いたりしてまた学んだり、確認したりしていたら落ち着いてきました。落ち着いてきて、自分は「この生活を続けたい」んだなってことに、気付きました。ここに住んで、仕事して、食べて遊んで寝て暮らす。これを続ける努力をしようと。それを成し遂げるためにそろそろ自信の無い自分に向き合う年齢が来たのだと察した。そしてその機会も与えられたんだろうなと。それも恵まれた環境で。「チャレンジしてみたら」と言われてるような気がしてる。時間は定めずチャレンジしてみようかなと思います。そのうちに今の場所がそれを叶える場所に変わるかもしれない。とこんな具合にようやくこの柔らかさに落ち着いてきました。落ちるスピードより重要なのは着地です。
「恥ずかしくなったり病んだり咲いたり枯れたりしたら濁りそうになったんだ」ってこういうことなんじゃないか?体現しちゃった?ピャー!そしてあの娘には「透き通る気持ちを分けてあげたい」。自分の気持ちや理想を言葉でどう表現したら分からなくなった時、歌詞が助けてくれたんだなー。でもこの辺もそろそろ自分の言葉で表せるようになりたい。そう思います。
潜ってた期間、いわゆる「無欲」ってヤツに苛まれて、これは本当に恐ろしかったです。「したい」「なりたい」が消えたんです一瞬…!これにかかるとどうしようもない。「死にたい」とも思わないから「無」ですよ「無」。会長の言うことは正しかった。「欲望」は生きるエネルギーです。そして歌詞から学ぶ私が今アツいなと思っているのが「アキバレンジャーシーズン痛」なので皆々様に謝るべきか、否。あっこの「否」っていう字、B’zの稲葉さんの顔に似てるよね〜〜〜!!!!以上です。