ロマンチックモード

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トゥモロー・ワールド/マッドマックス 怒りのデスロード

世界の終わり的映画をうっかり立て続けに見たんですけど、象徴として描かれたものが共通していたのが印象的でした。

長まわしの傑作。2008年インフルエンザの大流行で多くの子どもが死に、その一年後妊婦たちは次々と流産し女性たちには原因不明の不妊症が蔓延し新生児が一切誕生しなくなった未来の話を主人公の目線で追っておりまして、途中からなんとなくこの構図見覚えが…と思ったらサイバイバルホラーゲームのそれでした。最近で言うと「サイコ・ブレイク」のそれです。カメラワークは変わるもののこちらに提示されるもの全てが徹底的に「主人公の見聞きしたもの」のみなのでスリルも半端ない。
ロンドン以外は壊滅状態で、そのロンドンもすでに閉鎖状態な訳ですが、不法移民である女性・キーがなんと妊娠していると…人間が人間を支配する、本当の意味での「力」がモノをいう世界で大きくなったお腹の不自然さの美しいこと。主人公はキーととうとう生まれてしまった赤ん坊を、荒廃とは無縁の船「トゥモロー号」に乗せるため人や銃弾の中を掻き分け進んでいく。
一番若い人間が18歳であったこの世界で、沢山の銃声が赤ん坊によって消え失せていく様はまさに希望の象徴でしたが、通り過ぎた次の瞬間からまた鳴り響く銃声と爆音に全て消されていきます。人を産むのも人、人を消すのも人。
『徹底的に「主人公」』目線であると書きましたが、船に乗るために不法移民が集められる収容所にわざと入るんです。そこに寝床などを準備してくれる内通者の女性・マリカがいるんですけど、彼女、外国語なんですよ。英語じゃない。言葉が通じない、ただそれだけのことがこんなに人を不安にさせ、判断を鈍らせるのかと思うシーンがありギクリとしました。この絶望が支配する世界でも人々は色んな表情をして生きています。見知った言葉で朗らかに話しかけてくる相手は信用できるのか?鬱屈とした表情で分からない言葉をまくし立てる相手は信用できないのか?
トゥモロー号を待つ小船の上で、キーにこうして抱くんだよと、ゲップを出してあげるんだよと、大流行したインフルエンザで自分の子を亡くした主人公が教えてあげる場面が切なく、それまでの銃声が嘘かのような静けさの中終わる。元気な時じゃないと見れない映画でした。

  • マッドマックス 怒りのデスロード

ヒャッハ〜〜〜〜〜!!!!V8!!V8!!!!俺を見ろ〜〜〜〜!!!!ギターをかき鳴らせ〜〜〜ブオオオオオォォォ(ギターから吹き出る炎の音)
失礼しました。いやー、最高でしたね。これ、なんかもう一足飛びで金曜ロードショーでみんなで実況しながら見たいやつだったしR15だけどなんとかテレビ放送していただきたいですね!
そのほとんどが砂、槍、銃、炎で画面上の水分量の少なさがこちらにも伝わってくる。全然説明されない世界観と、その中で画面狭しと動き回る登場人物たちの行動がこの爆発と炎に満ち溢れた映画に説得力を持たせている。
あのー、これ、考察しようと思えばそれはもう恐ろしい沼のごとくできちゃう代物だと思うんですけど、ひとつ私が書いておきたいことは、やはりこのマッドマックスの世界においても希望の象徴が同じなんですよね。砂で覆われた世界でやはり不自然に大きくなったお腹の美しさ。どちらの世界でも子どもは希望であり、価値だった。どちらの世界でもそれを利用しようとするものと、守ろうとするものが戦いあう。
確かに女性が第一線でドンパチやる映画なんですけど、そしてこれは人によると思うんですけど、私には女性対男性には見えなかったです。あくまで人対人だった。もしくは怪物対ミジンコだった。この映画で私が好きな部分の一つに「補正の無さ」があげられます。女性のリーダー格であるフュリオサを始め歴戦の女性たちも出てくるんだけど、決して「女性の力」の域を出ない。生物学上無理な演出がない!女性と男性が意思の疎通をしたからといってすぐにおっぱじめない!!!!(!?!?)
ちょっと時間ないのでこの辺にしておきますけど、本当に最高の映画でした。早くみんなで見たい!!!!