ロマンチックモード

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2021年を素晴らしいヴィンテージへの期待高まる1年にするために

1月20日、仕事がひと段落ついて昨夜のことを思い出す。


事の始まりは16日の夜だ。「お父さんが危ない、今夜が峠」という一報が入った。もともと複数の疾患を患っていながら大酒を飲み、なんとも気楽な形で入退院を繰り返していた義理の父の話だ。確かに病院には掛かっていたが、実際に会う限り(とは言うものの昨年の秋口以降はコロナの関係もあり会っていなかった)命の危険が差し迫るような状態とは思えないほど元気な人だったので、あまりにも急な連絡だった。
幸い翌朝まで特別な連絡が来ることはなく、ショックと浅い眠りによる疲れがほんのり漂い始めた17日のお昼時、「家族会議をするから来て」というLINEが届き、夫と2人で義実家へ赴いた。


それはもう、すごかった。義理の姉の2人を筆頭に、高校生と小学生の甥っ子姪っ子も揃って大号泣していた。特に2番目の姉は義父について何かを話そうとすると、それだけで嗚咽を抑えることが出来ず、言葉の途中で高い声をしゃくり上げ泣きじゃくっていた。
長女が「何もできることはないから、せめて折り紙に手紙を書いて鶴を折ろう、お見舞いにそれを持っていこう」というので、みんなで鶴を折った。鶴の折り方を思い出すのに難儀した。私は一言だけ『必ず良くなってください』と書いた鶴を折った。他の、特に4人は思い出を目いっぱい詰め込んだ手紙をしたためていた。
一番泣きじゃくっていた2番目の娘と義母とで(面会は2人までになっている)十羽鶴を持ち、病室とLINEビデオで通話を繋げてくれた。酸素吸入はしているものの、しっかりと自分で起き上がっている姿には安心感を覚えたものだった。


それから2日が経ち、かなり危険な状態からは脱したとの連絡を受けて、ようやく打ち明けられたのである。「17日の家族会議で義実家に入った時、あまりの状況に『まだ死んでないよね…?』と思っちゃったんだよね」と。
もちろん「これを言うには早いかもしれないけれど」という前置きをした上でだ。


あの光景を見た瞬間、私は「あれ?まだ死んでないよね…?いや、まさかすでに死が宣告されたのか…?」とすら思った。まるで今夜にもお通夜が執り行われるかのような状態だった。
確かにこのコロナ禍で面会を許されるほどの病状であったのは事実だ。医師というのは最悪の場合を想定し話すものだし、実際に数値が悪かったのも事実だと思う。ただ、お見舞いに行くことが出来る状態ではあることや、本人と電話で話せている(!)というのを事前に聞いていたので、その状況とこの「お通夜当日の昼下がりの光景」に齟齬がありすぎて脳は完全にパニックに。思考を停止しその場をやり過ごした感覚だった。

というようなことを夫に打ち明けたところ、「自分もそう思った」と苦笑いしていた。義家族の「死に寄りすぎた感情」を目の当たりにしてしまった今、義父には元気になってもらわなくて困るな、と思っている。


そんなわけで、2020年は映画107本、劇場配信96本見たようです。実のところすゑひろがりずを見に大宮と幕張のよしもと劇場へ行ったりなどもしていました。どちらも幌延より簡単に行けます。コロナ禍ではございますが、対策を怠ることなく2021年も引き続きこんな調子で生きていきたいと思います。「ヘレディタリー/継承」はPG12なので金ローで放映できます。宜しくお願い致します。
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