ロマンチックモード

日常と映画と本と音楽について

臍帯を切る

8月3日、風は涼しくカラッとしている。北海道らしい夏の日。日差し以外は。ブツクサと文句を垂れていたディズニー旅行は、結局キャンセルしてしまった。これはこれで、行きたかったなと思うからめんどくさい。2歳と5歳にクマ牧場で買った靴下を、冗談で「私だと思って履いて行って」と渡したら、本当に持っていってディズニーで履いてくれていたらしく、可愛すぎて胸が締め付けられてしまった。


つい先日、ようやく「デス・ストランディング」をクリアした。長い長いと評判だった最後のムービー、これか!?このことか!?と身構えていたのに、終わったあと結局自分も「長ぇ!」とツッコんでしまった。映画1本分の時間ムービーを見せられてしまった。もちろんグラフィックも内容も素晴らしくて、私は笑い話として長かったと記憶しておこうと思う。


ちょうど人生で一番辛いことが起こった時、私はこのゲームをしていた。このゲームをしている最中、少し席を外している時に電話が鳴って、それに応対できず、知らない番号だったのでどうすることもできずに引き続きゲームをしていて、2本目の電話でようやく病院へ向かった。ゲームの内容も含めて、重たく印象深い作品になってしまった。


ここ最近、「とても楽しかった記憶」に紐づいたものと距離を置いている。推しの配信、映画、遠出。今思えばディズニー旅行もこういう気持ちがブレーキを踏ませていたのかもしれない。そんな中で、これまで「辛い記憶」と紐づいている気がして手を伸ばさなかったゲームをやり始めたという感じなのだけど、亡くなった人とこの世を結ぶ臍帯を切る作業に癒しを感じている。進んで切りに行くことはしないけれど、息をひそめて目の前に来てしまった臍帯を切り、この世に残された結晶を回収する作業は、なにかとても丁寧に大切なことをしているような気になるのだ。物を無事に運ぶと御礼まで言われてしまうオマケ付きで。


あつ森でもスパイダーマンでもなく、今はこのゲームしかしたくなくて、22時から1時間と時間を決めて配達をしている。依頼を受けたり、落とし物を拾ったり、乗り捨てられ時雨でボロボロになった乗り物を駐車場へ運び修理する。このゲームの1時間は本当に一瞬で、ほどよく疲れて丁度いい。橋やポストが大分傷んできているので、修繕の仕方を検索して夜にまたプレイしようと思う。そうして直すことで得られるどす黒くて卑しい感情を、今は許すしかない。

www.playstation.com

寂しく思うのは、こういう素晴らしいゲームや楽しいものを共有できないことだと。「シン・ウルトラマン」一緒に観たかったな。