ロマンチックモード

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暇つぶし

9月15日、秋晴れ。朝晩の冷え込みと日中の日差しの暖かさ、乾いた空気が完全に秋を物語っている。


夏休み以降、誰にも会わない時間が続いて、もうすぐ1年が経とうという時に改めて自分が1人になったのだと打ちひしがれている。1人暮らしを10年もしてしまったため、生活に適応しすぎてしまっていた。気持ちが置き去りになっていた。でも、気持ちを置き去りにするくらいじゃないとやってこれなかった、とも思う。


RSRに行ったことで浮かんできたキャンプ欲も、派生して湧き出たピクニック欲も、原語で理解したいという知識欲も、1人で過ごすうちにすべて消え去ってしまった。きれいさっぱり、消えてしまった。自分はここでこうして、この家の中で、提供されるものだけを受け取って少しずつ死んでいくんだと思った。どこまで行っても自分は消費する側でしかないし、これらができたところで何になるのか。ピアノすら誰にも褒められずに、押せば鳴る鍵盤を叩いている。その全てに驚くほどやりがいを感じられない。


久し振りに思い出したのだった。人生というのは、つまるところ死ぬまでの暇つぶしなのだ。それなら面白そうだと言われたものをなんでもかんでも消費していくのがいい。どうせ暇つぶしなのだから。暇つぶしをするためのお金を仕事でもらうけれど、その仕事ですら暇つぶしの一部だ。一番つまらないタイプの暇つぶしだと思う。


「夫が寝た後に、子どもたちに行っていい?って聞いて、こっそりスーパー銭湯に行くの、ひとりの時間だよ」と義姉が言った。これを聞いて腑に落ちた。私は家だろうが外だろうが、もうずっと1人だったのだ。わざわざ外に行って1人になる必要がない。そういえばソロキャンプをしている姉も実家暮らしだ。あれはきっと体のいいプチ家出みたいなものなのだろう。


それならそれで、自分の城でも持ちたいところだけど、家賃が掛からない生活に慣れ過ぎてしまってなかなか勇気が出ない。きっと今の家を越したら、今よりもっと一人になるだろう。向こうの家族との鎹があの家なのだから。どこまでなににすがっていくのか。うんざりしながら金額も見ずに買ったゲームをプレイする。昨夜、初めてペンキを塗ったら、少しだけスッキリした。これはいい暇つぶしになりそうだ。